多古町には日本寺の他にも歴史を感じるいろいろなお寺があります。
●峰の妙興寺
正安2年(1300年)、日蓮の直弟中老に日辨が創建した正峰山妙興寺は、通称、峰の寺といわれています。寺域には、本堂、山門、鐘楼などが立ち並ぶ名刹です。寺宝には弘安2年、日辨に与えた日蓮真筆の曼荼羅や立正安国論の草案など多数が所蔵されています。また、同寺には多古藩主久松氏の墓地、演劇で有名な「鏡山をはつ」のモデルといわれる忠碑さつの墓があります。
問合電話:0479−76−4745
●北場の浄妙寺
法性山浄妙寺は、天平宝字年間(757−764)の創建と伝えられる日蓮宗寺院で、本町最古の寺です。天正5年(1577)、多古城主牛尾胤仲の制札があり、天正19年(1591年)、家康から寺領十二石の寄進を受け、歴代将軍から朱印状をうけています。
見学問合わせ先:0479−76−3234
●妙光寺
日蓮宗の寺院で、弘安中(1278−1287)日蓮の弟子日朝の創建と伝えられています。地元で「ひげの祖師」として慕われている日蓮座像は、日蓮の肉髭(あごひげ)を付植され日朝に与えられたいう。寺宝には、県指定の「木造伝妙見菩薩倚像」などがあります。
見学問合わせ先・0479−76−2920
●正覚寺
成等山正覚寺は日蓮宗不受布施派の寺院です。同派は江戸時代(寛文5年)から明治9年まで、禁制とされていたため、表向きは寺を持つことができませんでした。同派が認められてから旧妙光寺(約700年前、日朝により開山された受派の本覚山妙光寺)を買い受け、正覚寺として発足しました。
不受布施派とは、世界の主は釈迦1人であり、他宗の人たちへは布施を施さず、布施を受けないという宗派のことです。
●東禅寺(千葉胤直、一部郎党の墓)
千葉氏一族悲劇の地。
室町時代中期、千葉胤直は鎌倉府の重鎮でしたが、足利成氏と上杉憲忠の内紛に巻き込まれ、親類で争う骨肉の戦いを始めます。そして無念のうちに、自刃して果てたのです。
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